死について

重松清の本を読んだ。短編がいくつか入ってたが、総じて40代で末期がんに冒された人の家庭や配偶者の気持ちを書いたものだ。

私も40代として身につまされる思いで読んだ。

 

今朝元気に出て行った人が、突然帰らぬ人となる・・・救急の現場はそういう人がたくさん来る。

でも、数ヶ月の猶予を与えられる末期がん・・・その数ヶ月をどう生きるか?

 

いままでにも何度か自分の死の瞬間について考えた事はあった。

死ぬ瞬間より、その後の事が不安だ。

俺がいなくなっても世の中は進んで行く。日々、何事も無かったように過ぎて行く。そうして地球の歴史、人類の歴史は綴られて来た。

人類の、この世界の顛末をみれないのは悔しい気がする。

そして、いつか自分の事を知っている人間もいなくなって・・・自分はただの昔の人に

なる。

寂しい・・たった数十年だけど自分の人生がそこに凝縮されているのに・・・西暦2500年頃には誰も俺の事など知らないのだ。

 

我々が江戸時代や明治時代の事を振り返るのも同じ・・・そこには何十万人の人生があったはず。

そう考えると死んでいなくなる事が嫌だ。

 

俺が死んだ後って・・・俺が生まれる前の歴史を実感できないように、全く違う世界の出来事なんだろうなあ・・・いつか復活して先行きを確認できたらなあ・・・と願う。

故人らが不老不死を熱望したのもわかる気がする。

 

しかし、やはり責任ある大人としては残される者たちの事を考えたい。

子供はちゃんと大人に成長できるよう・・・我が愛する者たちが我が愛なしに生き抜いて行けるよう・・・

 

日本人は死を忌み嫌う。でも、考えておかねばならない。自分の死・・・最愛の人の死を。

どんなに医学が進歩しても死だけは確実にやってくるのだから・・。

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コメント: 2
  • #1

    さんばんめ (土曜日, 05 5月 2012 04:40)

    こんばんは。
    ・・・ああ、もうおはようございますですね。

    癌でお亡くなりになった、栗本薫さんが、
    「癌は覚悟の期間を与えてくれる、優しい病気」
    というインタビューをされていた記憶があります。

    中世の、騎士なんかが活躍していた時代の概念で
    「メメント・モリ:死を意識して今日を生きよ」
    ってのが有りますが、バイク載ってる自分には凄く納得行く考え方です。

    たまに思い出しては、今日を大事に生きなきゃ、と思います。

  • #2

    院長 (日曜日, 06 5月 2012 03:57)

    おはようございます・・・まだ眠れてませんが・・

    意外とみんな自分の死というものについて考えていないようですね。もっと真剣に考える必要あると思います。
    戦争中はいつも考えている人が多かったそうですが、平和ぼけした日本人は直近の快楽ばかり考えて生きていて、遠くから着実に迫ってくる自分の死を思い描けないように思えます。
    昔はじいちゃん、婆ちゃんが自分の家族として死んで行ったわけですが、今や同居していない人の方が多く、遠い田舎でじいちゃんが死んじゃった・・程度の出来事になっていますよね。
    もっと身近に死というものを感じる必要があるのではないでしょうか?その上で、自分たちの生というものを考えて行くべきでは???